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壇蜜。それは綺羅星のごとく現れた一筋の光
壇蜜、といえば皆さんご存知のタレントであろう。
彼女はその淫靡な立ち居振る舞いと禍々しい芸名が絶妙なハーモニーを生みだし、7年ほど前から露出を増やした女性タレントである。キャッチフレーズはみんなの愛人。
田端大学課題図書- V字回復の経営
先日、私が参加しているオンラインサロン田端大学の課題図書で、V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)がその課題図書として挙げられた。
三枝さんのこの本は経営コンサルタントして働く彼自身の体験談であり、実務書としても有用な本であり、登場する会社のモデルの一つはコマツと言われている。この本が記されたのは約20年前。現在は私の大学の同級生も何人か入社しているが、本を読む限りこの時期のコマツ(の販社)には相当な閉塞感があったものと推測される。
この本では主人公黒岩を中心にタスクフォースが組まれ、減速していくコマツの一部門をどうやって改革していくか?という、サクセスストーリーが描かれている。と、同時に次世代の経営者層がどのように育っていくか?という成長ストーリーといった趣きもある。
経営改革において有効だった二つの施策
恐らく本書の一般的な読み方は、黒岩が描いた経営戦略に基づき実行された戦術の中でなにが経営改善に効果があったか?というのを検討し、その是々非々について喧々諤々の議論を行う、というところだろうか。
その観点で言えば、私は特に彼が実施した施策のうち①組織構造を変えたこと②経営計画を事業責任者に作成させたこと、の二つがこの改革において最も重要な打ち手だったのではないかと、考える。
組織構造の変革
黒岩は機能別と製品別に指示体系が絡み合った組織を商品別に小さく分解した組織体系に変えた。この施策は下記のメリットがある、
1.指示を仰ぐ先が明確になり、コミュニケーションコストが減る。
2.組織自体が小さくなり、権限者も減り、意思決定のスピードが速くなる
3.組織、組織長の交代は変革の空気、可能性を生みだす
経営計画の事業責任者による作成
これには下記の二点のメリットがある。
1.予算を達成するためのkey factorを実行者が良く理解している
2.責任を転嫁する相手がいない
とくに2が大切である、と思う。人は放って置けばなまける動物で有、(自戒を込めて)すぐにできない言い訳を探しがちだ。他人が作った計画の責任を問われても、知らねぇよ、ということにしかならない。だからこそ、自分で作った計画に損益責任を持たせることに意義があると思うのである。
と、いうわけで皆さんは黒岩を始めとした、経営陣たちは困難を乗り越えながら改革に成功したのである、めでたし、めでたし、、、
という話なのではあるが、
会社の管理部門にいる人間(わたしのこと)として、この本から管理部門(財・経・人・総、全部!)はどうあるべきか?ということを考えたい、というのが本稿の主旨である。
日陰に潜む管理部門
(常日頃そうであるように、、) 管理部門は本書においても黒子のように影が薄い。
本書を読んでいても、まず管理の話にはあまり目がいかない。改革が起こる色々変革中の状況なのだから当たり前、かもしれない。確かに主役となるのは損益に責任を持つフロントの人間だ。さはさりながら、管理部門は絶対に必要。
改めて通読すると、数少ないながら本書でも管理部隊はどうあるべきか?という事に思いをはせることのできる箇所がいくつかあることに気が付く。
その観点から、私が気になったのは、K社の管理会計上の問題であった”事業部別に損益管理ができていない”という点と人事制度上の問題であった”人事は過去に前例がないから要求が通らない”というこの二点の記述である。特にこの二点は、死んでゆく組織を表す兆候だと感じた。
現場感の欠如
この二点には”現場感のなさ”が如実に現れている、と考える。
現場の状況が分かっていない、現場で必要となるものが分からないor想像できないから上記のような状態に陥ってしまう。
これが死にゆく企業における、イケてない管理部門の振舞いである。
まず、事業部別に損益管理ができていない、という点。冷静に考えて論外。
事業毎のPLが分からなければ、商売によってどれだけの粗利が生まれ、経費が掛かり、金利がかかりという構造を理解できない。現状把握ができない状態で、改善が生まれるわけがない。コンパスを持たずにどうして海にでようか?
なぜ、このような状況となるか?というと、経理は数字を集計しているだけ、過去からの慣行に従って経費を分配しているだけ、会計基準に従うだけetc.
意思なき管理部隊がいるとこういうことが往々にして起こる。
また、人事は過去に前例がないからと断る、これも現場感の不足によるものと思う。
本書でもこの文書に続く言葉として、”制度はなんとでもなる”とそのように言っている。
これは全く持ってその通りだ。人事制度は正解がない、法律に沿う限りは正解だ。少なくとも間違いではない。だから前例がないからという理由で断るのは、全く通じない論理で有り、一番いけてない言い訳だ。
損益への不感症
結局、現場感がないというのは、損益に対する感度が低い、という事なんだと思う。
管理部門の人間は何もしなくとも営業の稼いだお金でおまんまが食べられる。
でも、法令遵守だとか会計基準順守だとか守らないといけないルールばかり。だからそればかり喧伝する。それだけしていれば、自分の身は安全なまま、おまんまを食べ続けられる。
そういう状況に慣れていると、この製品は本当に売れているのか?なんていうことに思いをはせることもなくなってしまう。ただただ、社会規範・社内ルールに縛られるだけ。
どうすれば、この損益に対する感度の低さを打開できるか?
私が考える点は二つある。
フロント部隊に物理的に寄り添う事
まず、個人的な経験も踏まえ、これが一番有効なことだと思う。単純接触を繰り返すと人を好きになってしまうのと一緒だ。(オフィスでの恋愛には要注意である。)
まずフロント部隊に寄り添い、ビジネスの前線に自分の目線を持っていくのだ。フロント部隊に近づけば、フロントの人間と仲良くなる、営業の情報も入ってくる、営業の取引にも興味が沸く、損益にも敏感になる。(ここで興味が沸かなければちょっと厳しいかもしれない。)
こういう正のスパイラルが生まれるはずだ。
管理部隊だけで固まっていても何も始まらない。懐に飛び込め。
常に超えられない一線を考えつづける
法令遵守、会計基準の遵守etc. 世の中守らなければいけないルールはたくさんある。ただ、このうち本当に守らないといけないルールはいくらあるのか?というのを管理部隊は考えないといけない。
自分たちが過去に●●といったようなルールを作ったから、それは営業の希望には添えません、、なんてくそくらえだ。社内ルール何ぞ、超えようと思えば、すべて超えられるといっても過言ではないのではないか?
管理部門として、営業の為にぎりぎりまで営業のやりたいことはやらせてあげる、このおぎやはぎ的スタンスがあるべき姿ではなかろうか?
それを達成するには管理はその超えてはいけない一線がどこにあるか?を見極める力をみがくことが肝要だ。
管理業務は法令遵守ではなく、社内サービスと思うべし。
壇蜜であることが求められる世の中へ
上記の議論を見れば、明らかに理想的な管理部隊は壇蜜的な思考回路・行動様式を持っていると言える。ようやく話が一周し、話題が壇蜜に戻ってきた。
・壇蜜は常に前線で戦っている。MCからムチャぶりを振られても気の利いた言葉を、偶に視聴者がドキッとしてしまうくらいの長尺で、しっかり返していく。
・そして常に格好がエロい。巷では偽乳だとかなんだとか、っていう話もある。男の気持ちを常に刺激する。常にやれそうな空気を出している、こちらの要望をいつでも汲んでくれそう、そんな存在、壇蜜。
・そして、最後、壇蜜はたぶん堅い女性だ。発言は非常に軽いイメージを連想させる言葉ばかりつぶやく壇蜜。しかし、やれそうでやれない女性だ、恐らく。妄想だが。
どうだろうか?これでお分かりだろうか?
壇蜜的マインドを持った管理部隊は営業部から必ず重宝される人間となる。
そしてそんな管理部隊がいる会社は良い会社になれる。
壇蜜的なマインドを言語化するとすれば、
①前線に出る気持ちは忘れず
②営業の気持ちを汲み取りながら、でも、
③最後には営業を律する存在
ということになる。損益への感度を高めながら、営業活動のコンパスとなる管理部隊。もちろん、”最後には律する”という機能が重要なのは言うに及ばずだ。
管理部隊に属する人間として、これから壇蜜を目指すことをみなさんにお勧めしたい。これは能力の問題ではなく心持の問題だ。明日から変われる。
そして、そんな壇蜜が会社でどう輝けるのか?ということを考えるきっかけにこの本はなり得ると思う。管理部隊でくすぶっている人にこそこの書を届けたい。
あと、あんま公表してないけど、結構壇蜜好きです。
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※本稿はnoteからの転載です。下記のnoteも是非。
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